なぜ自分はコミュ障なのか分析してみたら、原因は「親」だった話

生き方

20代の頃は、いつも人間関係がうまくいかないタイプでした。 でも当時は「まあ自分はこういう人間だから」「俺は悪くない」と思っていました。 ところが30代になって少し冷静に振り返ってみると── そもそも最初のコミュニケーションは“親との関係”から始まるんですよね。

その時点でうまくいってなかったら、スタートラインからもうつまずいている。 そう考えると、自分の“コミュ力のなさ”には明確なルーツがある気がしました。

幼少期の母親との関係

母親は、機嫌が悪くなると2〜3日平気で無視してくるタイプでした。 話し合うとか、諭すとかではなく、「態度で示す」人。 その沈黙が本当に不快で、子どもながらに息苦しかったのを覚えています。

他にも、

  • 視力が下がっただけで怒られる(「メガネ代がもったいない」)
  • 失敗すると「あーやっぱりね」「だから言ったのに」と言われる
  • 嫌いな食べ物を残すと、食べ終わるまで無言の圧力

とにかく「愛情」よりも「支配」を感じる関わり方でした。 母親の会話はいつも誰かの悪口。 兄が大学に行けたのは男だからだと文句を言い、 自分が苦労して入った大学の話を“努力の証明”として毎日語る。 楽しい会話なんて一度もなかった。常に何かに怒っている人でした。

父親との関係

父親はいわゆる理系脳タイプ。 無視や嫌味はないけど、言葉が少なく、自分から話しかけてくることもほとんどない。 他人にあまり関心がなく、感情の交流というものが存在しませんでした。

その結果、生まれた「コミュ障」的性格

そんな家庭で育つと、他者と心を通わせる基礎体験がまったくないんです。 自分もまた、嫌なことがあるとすぐ顔に出すし、無言になる。 つまり、母親にされたことを、自分も無意識にやってしまっていた。

小学生まではノリでなんとかやれても、中学以降はそうはいかない。 「人との距離感」「空気の読み方」が求められるようになり、そこからが本当の“戦い”でした。

中学・高校はずっと苦痛。 他人と一緒にいても楽しくない。 会話しても表面的な愛想笑いだけ。 大学の研究室も、人間関係が無理で一切行かなかった(必修じゃなかったのが救い)。 社会人になってからも、同僚との摩擦で疲弊。

組織がしんどい理由

コミュ障は、組織に属するメリットが少ないんです。 周囲と協力するよりも、一人で静かに仕事している方が、ずっと心が安定する。

10代・20代のうちに「自分は人との関わりが苦手」と気づけていれば、 練習や修正もできたかもしれません。 でも気づくのが遅いと、人と関わること自体が“億劫な行為”になってしまう。

今の時代は自己分析ができる

最近はなんでもかんでも「発達障害」のせいにされがちだけど、 実際は家庭環境や親との関係が原因のケースも多いと思います。

今ならChatGPTみたいなツールで自己分析もできる。 自分の性格や行動の理由を整理できれば、 少しずつコミュニケーションの再学習もできる時代です。

おわりに

結局、人生の豊かさって「他人との関わりがどれだけ楽しいか」に比例する気がします。 コミュ障であること自体が悪いわけじゃないけど、 「なぜそうなったのか」を知ることで、少しは自分を許せるようになる。

自分を責めるよりも、 「この環境でよくここまで生き抜いたな」と思えるだけでも、ずいぶん楽になります。


タイトルとURLをコピーしました